先日、不意に物真似とコスプレで連想が働いたので一文。
コスプレが物真似って事ではないよ。
まず物真似について話していく。受ける物真似ってのはどういうものだろう。
まず出るのは「似ている」
例えば、声や姿や仕草あたり。ものによっては音、形、動きって言い方になるか。
「てか、物真似って、それが全てでしょ」って言われそうだけど、まだ、あると思う。それが「わかる」
勿論似てて、更にわかるのは凄いけど、共感めいてわかるってパターン。
特徴があるキャラのその個所をを真似したり、特徴のある言い回しをコピーする、特徴のある容姿を真似する。
なら、そんなに磨きこまなくても「わかる」とは言われてうけることもできる。
「そっくり」じゃなくてもわかったり、「実際にこうしている」わけじゃなくても「如何にも言いそう。やりそう」とか。
それでコスプレ。
コスプレも物真似で言ってた「似ている」「わかる」が他者から得られるウケなんじゃないかと思う。
「似てる」を得るために、衣装や小道具、自身の体を作りこんだりする。
それで「わかる」の声を得るには多数の人が知っていれば得やすくなるというのもあるだろう。
ところで、また物真似に戻るが、例えば、ものまね番組によっては「似ている」「わかる」、それ以外のうけ要素もある。
「似てねえwww」とかで笑っちゃったり。何をするかじゃなくて誰が、そのまねをするかが重要だったり。
これもコスプレでも無いわけではないのかもしれない。
そうして、今年の夏、「ハイレグ調査兵団? なにそれ?」ってつっこまれてたものは、先程の「似ている」「わかる」以外のうけ要素を求めていた人にとっては「なにが悪いの?」だったんだろうなとか思う
ただ、コミケ会場では「似ている」「わかる」を求める方向が強めなんじゃなかろうか。似ていなくても受けてるものも「わかる」の力で注目される。そのズレがこの話題を引き起こしたのだろうと考えた。